「学校は安全・安心の場所だ」 このような親の思いとは裏腹に、毎年、学校生活・学校行事などで重大な事故が発生し続けています。そればかりではなく、学校側は被害者に対して不誠実な対応をとることも、残念ながらしばしばあります。
例えば、名古屋市の中学校では「トーチトワリング」という灯油を染み込ませて火を点けたタオルを振り回す演舞が長年行われてきました。ある生徒は、火が自身の服などに燃え移り火傷を負いましたが、学校側は「自業自得だ」「バチが当たった」と罵り、事故状況の説明も二転三転させるなど、不誠実な対応を行いました(東洋経済ONLINE 学校行事の大ケガを「自業自得と罵る教員」のなぜ)。
ほかにも、卒業旅行で起こった急死について学校側から詳しい説明がない、給食時の事故について学校側の責任を否定するなどの事例が報告されています(東洋経済ONLINE はびこる不誠実対応「学校での事故」の悲痛な実態)。
学校事故が発生する背景
なぜ、安全であるはずの学校で事故が発生するのでしょうか。
第一に、学校側の安全対策の意識が希薄なことです。例えば、一連の大川小学校津波訴訟において、津波被害の予見可能性性が争われました。学校側は「ハザードマップ上の浸水範囲外であることから、津波襲来の可能性を予見できなかった」と主張しましたが、裁判所は「校長らは児童の安全を確保するうえで地域住民よりはるかに高いレベルの知識と経験が求められる」と指摘し、学校側に予見可能性と責任がある旨を判示しました。裁判所の判示は極めて妥当なものといえますが、学校側の主張からは「一定のマニュアルに従ってさえいれば、責任を問われないようにすべきだ」「マニュアルがなければ責任を問えなくてもしょうがない」との思考が見え隠れします(東洋経済ONLINE 大川小津波訴訟、遺族側の勝訴が変える学校安全)。
冒頭で挙げた「トーチトワリング」の事例でも、客観的にみれば、火の付いたタオルを数十人が振り回すという危険な演舞であるにもかかわらず、学校側が危険性を十分に認識せず、「毎年やっているから大丈夫」との過信が招いた事故であると指摘できるでしょう。組体操の「巨大ピラミッド」も、毎年骨折などの重大事故が発生しているにもかかわらず、漫然と行われてきた一例といえます(東洋経済ONLINEそれでも繰り返される「組体操事故」の実態 )。
第二に、現場の教員が多忙すぎて、生徒一人一人に目を配るのが困難なことが挙げられます。授業を別にすれば、朝の登校見守り、生徒間のいじめ対応、カウンセリング、保護者・地域からの要望・苦情対応、研修会参加や教育研究の事前レポート作成、部活動の指導・監督など極めて多岐にわたります。過労死ラインとされる時間外労働80時間超の小学校教員が3割、中学校教員に至っては6割にの上っており、教員の多忙・恒常的な長時間労働は、深刻な問題です(東洋経済ONLINE まじめな教師を休職に追い込む4つの深刻問題)。
学校に求められる課題
教員と学校には生徒の生命・身体・健康を害さないよう注意・配慮する義務(安全配慮義務)があります。
しかし、ひとたび事故が発生すれば、事故原因や背景の検証に消極的な学校側の対応が表面化し、被害生徒やその親の感情を逆なですることが多いのも事実です。
学校には、事故の検証、再発防止のための取り組みも含めて、幅広く生徒の安全に配慮することが求められています。